給料のほとんどを食べ歩きに使っていたハタチの頃
私はもともと大の食いしん坊でした。
料理することが大好きで小さい頃から大きくなったらコックさんになるんだといつも言っており、小学生の頃にはすでにシュークリームが焼けるほどお菓子作りも、家族のおかず作りもできていました。
シュークリームを最初に作ったのは確か小学校4年か5年の時でした。
私の母親はアメリカ帰りだったので家庭でケーキやクッキーを焼くのが当たり前の家庭で育ちました。
今から50年も前だったので一般の家庭にオーブンなどあるはずもなく、私の家にもオーブンはありませんでした。ですが、天火というガスコンロの上に置いてオーブン代わりにする鉄の箱のようなものが、我が家には私が物心つく頃にはすでにありました。
今思えばそんな環境が今の私の原点になっているような気がします。
高校を卒業し大阪に出たとき、当時から食い道楽と言われた大阪には美味しいお店がいっぱいありました。私は嬉しくて嬉しくて働いたお金、給料はほとんど食べ歩きに使っていました。
独身で生活の心配もなかったので一席2万も3万もするような高級料亭にも平気で通っていましたし、美味しいうどん屋があると聞けば何ヶ月も足を運んで同じ味が出せるまで通い続けました。
最初の一週間にやったこと
最初の一週間はカウンター席に座り盗める限りの料理方法や、うどんの湯がき方タイミング、出汁の取り方、そしてカウンターから見えるそのお店が使っている調味料は全てメモに控えて帰りました。
帰りには必ず、お店の裏に回りゴミ箱の中を見て
- どんな種類のカツオを使っているのか
- どんな種類の昆布を使っているのか
- どこのお店から仕入れているのか
ゴミ箱を見ればそこの店の使っている材料は一目瞭然でした。
同じ味が出せるまで、次の一週間にやったこと
カウンターで作り方や調味料タイミングを盗んだ後は、
お店の一番端っこの席に座り、いつも牛乳瓶を持って行き、出汁をアパートに持ち帰りました。
その店と同じかつお、昆布、醤油などの調味料を買い揃えて、水1リットルに対しカツオ何グラム、昆布何グラム、醤油が何ccかと 何度も何度も同じ味が出るまで繰り返していました。この方法で大抵のお店の味は2週間で再現することが出来ました。

どうしても出せなかった同じ味
当時、東京在住の友達から

と誘われた際も、すぐに上京。友達の下宿に泊まらせてもらって2週間集中的にその店に通いました。
いつもと同じようにカウンターに座り
- 湯がく時間
- タイミング
- 盛り付け
を一生懸命見ました。
そしてどんな調味料を使っているかも徹底的にうどん屋と同じように調べました。
そして友達の下宿に帰っては何度も何度も試作を繰り返しましたが、どうしても味が同じ味が出ませんでした。
またカウンターに行って、和風のたらこを混ぜたら湯がく時に塩を入れる、店のニンニクと生姜が少し入って、とずっと見ていました。
しかし何かわからないものが、ひとさじフッ!と混ぜられたんです。
でもそのひとさじがいったい何なのか分からず、2週間以上通い続けました。
すると、そのひとさじの調味料がお皿の端に少し残っていたのを目ざとく見つけ、それを舐めました。
何とそれは「昆布茶」だったのです。
和風の何ともいえない甘みを出す隠し味、昆布茶だったのです。
そしてついに同じ味が出せて一路大阪に帰ったのを覚えています。
ハタチ前後、大阪に行った40年前は
とにかくきりがないぐらいこんなことばかりしていました。
ひたすら美味しいものばかりを求めていた私がなぜ玄米菜食、重ね煮に至ったのか。
次回に続きます。