わらの暮らし

【わらの初詣と神社再建の話】あけましておめでとうございます

投稿日:

あけましておめでとうございます

この土地に来て、わらを始めて33年の歳月が経ちました。

私たちの住むこの集落は十数件しかない小さな集落ですけれども集落のあちこちに小さなお社がたくさんあります。

当時から過疎化とともにほとんどのお社は荒れ放題 、わらの裏山にも小さなお社がありました。近くの神主さんに聞いたところ、出雲大社の分社で杵築神社という名前とのことで崩壊寸前の状態でした。

船越康弘
私たちが住む家を作る前にこの集落をずっと見守ってくれていたお社をまず立て替えさせてもらいたい

となんとなく感じたのでした 。

何百年もの間この集落を見守っていてくれた神様に、これからも私たちの暮らしの営みを見守ってくださいという願いを込めて、WaRa倶楽無を立てる前に大工さんにお願いして、まずこのお社を立て替えさせていただきました。

3年前には、この集落にある八幡様の拝殿の雨漏りがひどく氏子が集まって立て替えることに相談がまとまりました。氏子と言っても今ではわずか3件残っているだけ。

この3軒だけで拝殿の新築は経済的にとてもハードルが高い。

わらが元請けとなり、わらの山の木を切り出し製材し、大工仕事は卒業生の山ちゃんが請け負ってくれたことで拝殿を立てなおすことができました 。

それ以来、ほぼ毎日お参りをさせていただき天津祝詞お供えさせて頂いています。
そして米、水、塩、御神酒を毎日お供えさせていただいています。

この習慣のおかげで神社にお参りするのは願い事をすることではなく、

船越康弘
ただただ日々の暮らしに、今生きていることに、当たり前のことに感謝すること

なのだと気が付きました。

30年かけてやっとこの土地の氏子として受け入れてもらえたように感じます。

わらの初詣

毎年お正月には車で10分ほどの穴門山神社に初詣に行かせてもらっています。

宿の営業が一段落する4日か5日にしかお参りできませんでしたが、今年はありがたいことに外部からのお手伝いの方がたくさん来てくださったので、お泊まりのお客様とともにわらに来てはじめて33年目にして穴門山神社の「弓始め祭り」という神事に参加することができました。

この神事は神主さんが神社の四方から天に向かって矢を放ち、万福を祈願する神事です。

山の中、その上、谷底のようなところにある神社であるにも関わらず「神名帳(じんみょうちょう)」に列する神社のことで「式内社(しきないしゃ)」 朝廷の儀式、行政の実施に関する規範を表した延喜式の中にあげられた神社のひとつで、朝廷崇敬の神社であったと考えられます。

倭姫命世記(ヤマトヒメミコトセイキ)という古書によると

崇神天皇から天照大御神の御神体である御鏡を、「どこへお祭りしたらよいか探してこい」という命を受けた豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)が穴門山神社に奉遷し、四年間預けていた

と記されているとのこと。

またこの穴門山神社には御神窟と言われる洞窟があります。

その洞窟の入り口の中央には、入り口を塞がんばかりの球形の大きな岩がでんと座っており、それは神話にある天岩屋天岩戸に似てその岩戸を押して開いて、天照大御神を連れ出した怪力の手力男命の勇姿をも想像できる神々しさを感じます。

わらの初日の出

この二日の日の出、目に焼きつくほど見とれました。

ふと後ろを振り返ると 満月が見えました 。
東には日の出。
真反対の西には満月。
太陽と月。
陰と陽。

表と裏が同時に存在し同時に調和の世界を見ることができました。
そして自然との一体感。日の出を浴びながら得ることができました。

わらの大きな柱となる理念

船越康弘
おいしく楽しくありがたく」

素材に失礼のないように出会い美味しく作らせていただき美味しく食べる。

人生は楽しむために、どんなときも笑顔で楽しく、どんな状況でも感謝することを忘れず生きてるだけで百点満点。

あらためて日の出と満月に約束させていただきました。

素晴らしい年のはじめのひとときを、わらの神社と穴門山神社が導いてくれました。

 

{東の野に炎の立つ 見えかへり見れば、月傾きぬ}

 

-わらの暮らし

Copyright© 重ね煮とわらの暮らし , 2024 All Rights Reserved.