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「わら」の考え方

一本のにんじんがあります。それはお百姓さんが種をまいて、150日間の太陽と雨と空気、微生物、養分が、毎日一つも欠けずにあってはじめて、ここに存在するのです。
あらゆる森羅万象、宇宙現象や自然現象があって、生まれてきた命です。
いわば自然環境の凝縮物です。
そのにんじんを食べるということは、にんじんの「命」をいただくことであり、自然界のエネルギーを体に取り入れるということです。
それが私たちの体をつくり、「命」を永らえさせてくれるのです。
自然が私たちに食べ物を与えてくれて、生きることを許してくれた。
なんとありがたいことでしょう。私たちは「生かされて生きる命」なのです。
食べ物を前にしたとき、これを与えてくれた自然に感謝し、一本の大根に感謝する心を忘れてはいけません。

素材に失礼のないように

さて、私はにんじんを食べました。
では、にんじんにとってはどうでしょう。
食べられたくて食べられたわけではありません。
本当はもっと生きたかった。
立派に花をつけ、種ををまき散らしたかった。
そのために生きてきたんですから。
にんじんは非業の死を遂げたのです。
私が生きるために、今までそうした何億・何兆もの小さな命が、

私に命を捧げてくれたのです。
そのにんじんを食べるとき、葉っぱから根っこまで
余すところなく、失礼のないように料理し、失礼のないように食べたいと思います。
そんなふうに食べてこそ、私の体の中に入ったにんじんさんの全エネルギーが、私の命の糧になるのです。
もし、あなたが恐竜に食べられるとしたらどうですか?
おいしい脳味噌だけを食べて、大事にいとおしんできた体をポイッと捨てられたら、そんなムチャなと思うでしょう。
あなたの体のなかに無駄な部分がありますか?
野菜だってそうです。せっかく私たちのために捧げてくれた命です。
まるごと、ありがたくいただきましょう。

自然を後援会長につける

私たちが実践する自然食は、健康になることが目的ではありません。
人生を自分らしく精一杯生きる、
その目的を果たすための自然食です。
自然に感謝し、命を大切に生きていると、大自然はその命を応援してくれるようになります。
つまり自然が私の人生の後援会長になったようなものです。
こうなったらもう、怖いものなしで、どんな夢だってかなう気がしてきます。
もし自然にひとつだけ意志があるとするならば、それは命を生み、育てるということでしょう。
命にはそれぞれ目的があって、ひとつひとつが大切な存在です。
お米や野菜がその命を投げ出して私の存在を許してくれるとき、自然界全体が
「目的を果たしなさい」と私を励ましてくれているようで、勇気がわいてくるのです。